ずっと君の虜なんです

一寸先はきっと『ハッピー!』

あの日から今日までのおはなし

 

 

 

ずっと前から書きたいと思っていたのに

上手く言葉が纏まらず、躊躇っていたけど

今どうしても思いをぶちまけたくなったので

衝動で書き殴らさせて頂きます。

 

 

 

渋谷すばるです。 https://shibutanisubaru.com

 

 

あの日以降、彼に対してこんなに幸せな気持ちで心が締め付けられたのは初めてだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、

関ジャニ∞は、私の青春でした。

 

 

 

 

中学生の私はあることがきっかけで

友達が周りからサーッと

居なくなった時期があって、

人なんてみんな上辺ばっかりで

誰も信じられない

なんて思ってる時期があった。

 

その年の夏休み、

家族旅行で沖縄に行く予定が

台風のせいで飛行機が飛ばず、

一日延期になった。

 

なんとなく地元の

ショッピングセンターへ行き、

なんとなく行った映画館で、

妹にどうしても見たいと言われて

仕方なく見た映画が

エイトレンジャーだった。

 

その時の私は彼らのことを

どれくらい知っていたのか?

今ではもう思い出せないけれど、

私が彼らを〝関ジャニ∞〟として

はっきりと認識したのは

きっとあれが初めてだったと思う。

 

 

 

 

 

 

映画を見終わっていちばん最初の感想は

『羨ましい』のひとことだった。

 

あぁ、この人たちは

本当に仲良しなんだろうなあ

と心の底から思った。

 

それからは沖縄旅行そっちのけで

彼らについてひたすら検索して情報を得た。

 

あの映画を観て

いちばんに彼に惹かれた理由を

聞かれても答えられないけれど、

あの日から私のいちばんは

渋谷すばるくんだった。

 

 

 

彼にはたくさん助けられた。

歌、言葉、表情、動き

全てに強い力を感じた。

 

あの頃の私を客観的に見たら

きっと小っ恥ずかしいだろうけど、

ほんとに〝救われた〟と思った。

 

 

 

あの日もし飛行機が飛んでいたら?

妹があの映画をみたいと言わなかったら?

 

今わたしはどうなっていたんだろう?

 

そう思うほどに私の青春の記憶には

全て〝関ジャニ∞〟が居た。

 

 

苦しい時、いつも助けてくれた。

 

彼らを応援している時だけは、

ツラさや苦しさを感じたことがなかった。

あの日までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年4月15日。

嫌でも思い出してしまう日。

 

 

 

 

「脱退?そんなんあるわけないやん」

「何そのガセネタ(笑)おもんな(笑)」

 

 

週刊誌から出たニュースなんて

信じる訳もなく、

なんならそんなこと忘れていた私は

あの日もいつもと変わらず

アルバイトに行っていた。

 

休憩時間になって、友達に

「映画の予約したいからついてきて!」

と言われてついて行った途中に

なんとなく開いたLINEのニュース欄から

目に飛び込んできた文字。

 

 

 

 

関ジャニ∞渋谷すばるが脱退へ』

『年内でジャニーズ事務所を退所』

 

 

 

 

いやいや、ちょっと待て。

何を言っとんの?

 

シンプルにそう思った。

 

 

頭の中がはてなマークで

いっぱいになって、

絶対嘘だと思いたくて

開いたTwitterに流れる会見の様子。

 

確認したメールには

〝ファンの皆さまへお知らせ〟

の文字。

 

何を見てもどれだけ検索しても

嘘じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

お昼真っ只中の社員食堂で

会見の映像をみた。

 

 

 

 

マイクを持って話す

みんなの顔が苦しかった。

 

 

 

 

本人よりも誰よりも

いちばん泣いちゃってて

「今日という日が来ないで欲しい」

って思ってくれていたことを

伝えてくれた横山くんも、

 

 

「好き過ぎて何も言えなかったですね」

って下手くそだったけどなるべく

いつも通りに見えるように

頑張ってニコニコヘラヘラしながら

言ってくれた丸ちゃんも、

 

 

「勝手な決断をしたすばるくんのこと

嫌いになれなかった」

とか

「日本にいてもできるんじゃないの?」

とか

棘はあるけど

好きが伝わる発言をしてくれたり

ファンの気持ちを代弁して

くれているかのような顔で

会見で話をしてくれた大倉くんも、

 

 

「ホンマにこいつらしつこいな」と

思うくらい止めてくれて でも

彼の決断も尊重してくれた亮ちゃんも、

 

 

会見で読まれたメッセージでも

音楽のことについて触れていて

あぁきっとこの2人は音楽で強く

繋がっていたんだろうなあ

思うような言葉を届けてくれたヤスくんも、

 

 

みんなみんな苦しかった。

 

 

 

 

そんな時でも

なかなか人前で泣けない私は、

友達が目の前にいて

しかもアルバイト先の食堂で

泣く訳にはいかないよなと思って

グッと堪えた。

 

 

 

 

 

でも、村上くんが、

 

「なんでや」「嫌や」と思ったことを

ちゃんと伝えてくれつつも

報道陣の方に向けて

〝いつもの村上くん〟を全うしてくれてて。

 

それがツラくてツラくて

いちばん苦しかった。

 

 

 

 

「いち男の決断として ーーー」

 

その発言をした時の村上くんは

無理矢理口角を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

それをみて、

ずっと、グッと堪えていた気持ちが

プツンと切れた感覚がした。

 

 

食べることが大好きな私が

食事も喉を通らずただひたすら泣いた。

 

 

 

 

 

 

21年。

 

 

 

彼らが産まれてから、

ジャニーズ事務所に入るまでよりも長い時間。

 

 

 

 

 

そんなに長い時間を共にした仲間達が

全力で引きとめるのを振り切ってまで

叶えたい夢は何ですか?

 

 

グループとファンを大切にしている

あなたが全てをほおり投げてまで

挑戦してみたいところってどこですか?

 

 

それは、

横にいる仲間達と今の私たちとでは

叶えられないものですか?

 

 

脱退じゃなくて、

ちょっとお休みしてきます

じゃダメなんですか?

 

 

∞祭で言ってくれていた

「一生あなたたちのアイドルです!」

という言葉も嘘だったの?

 

 

あなたが今まで歌ってきたパート。

あなたの代わりは誰が歌うの?

 

 

 

そんなことばっかりが

頭の中をぐるぐると支配して、

仲間と自分の名付けたファンを

置いていく彼にも

門出を素直に応援できない自分にも

腹立たしく、悔しく、苦しかった。

 

 

 

 

それからは毎晩泣いて、毎朝泣いて。

 

一生分泣いたんじゃないかな?と

思ったあたりで漸く気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の考えは間違っていた。

 

 

 

彼は、不器用ながらも、

いつも素直に真っ直ぐに〝本当〟を

伝えてくれていたんだろうな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たったの3ヶ月。

7人としての活動に残された時間は

あまりにも短かった。

 

関ジャニ∞渋谷すばるとして、

残された時間の中で

見たいと思ったものをノートに書いた。

 

 

 

関ジャニ∞渋谷すばるの生歌

 

・7人でMステに出る

 

・すばくらでふぁぼられタイムライン

 

・7人だけのいきなりドッジ

 

・7人での新曲

 

・7人でのLIVE

 

・生歌でロマネの歌い出し

 

・「嘘でした」っていう会見

 

・心の底から笑った顔

 

 

 

 

 

 

 

正直、私が想像していたよりも

彼らは私の夢を叶えてくれた。

 

 

 

 

 

 

7人でのLIVEは叶わなかったけど、

Mステだけでなくテレ東にも出てくれた。

 

新曲は、2017年の〝応答セヨ〟が

最後だったけど、大切な2つの曲を

さらに大切なものにしてくれた。

 

 

ジャニ勉では7人だけで

今までを大々的に振り返ってくれた。

 

 

クロニクルでは

7人だけのいきなりドッジ

の夢を叶えてくれて、さらに

Heavenly Psychoを歌ってくれた。

 

 

関ジャムは、

 

スカパラさんとコラボした

無責任ヒーロー

 

生歌では聞けなかったけど

歌い出しが大好きだった

大阪ロマネスク。

 

7人で最後に披露したのは

LIFE〜目の前の向こうへ〜

 

生放送でリアルを届けてくれた。

 

 

会見の時とは打って変わって

笑顔で送り出してくれた大倉くんと

ずっとずっと強気で3ヶ月突っ走ってきて

でも、最後に泣いちゃった亮ちゃん。

 

 

すばるくん。

あなたは、

会見の日から生放送の最後まで

涙をずっと堪えていたね。

 

 

生放送の最後で、

あなたが叫んでくれた言葉。

 

 

 

3ヶ月前の会見から

ずっとずっと聞きたかった、

「ありがとう」でも

「申し訳ない」でもない

あの言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に嬉しかった。

 

 

 

3ヶ月前、

もし好きになってなかったら

こんなに悲しくなったり

心が張り裂けてしまいそうな

気持ちになったりすることも

なかったのかなあ なんて

思ってしまった時もあったけれど、

そんなこと思っていた自分が

馬鹿馬鹿しくて申し訳ないくらいに、

最後の最後まで好きを更新させてくれる。

 

 

 

あなたのファンでいて

本当によかったと心から思った。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

そして最後のレンジャー更新となった

2018年7月12日。

会見があってからこの日まで

いつも通り更新してくれたレンジャーで、

いつもより長い文章と最後に写真を

載せてくれて自分の思いも伝えてくれた。

 

 

 

まだ、前向きにはなれなかったけど、

どっちの道も応援しようと思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしまぁそれからの方が

ツラかったような気もする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6人のLIVE。

もう行けなかったらそれでもいいや

と思いながら4連で申し込んだ。

 

 

まさか当たると思ってもいなくて、

当選の知らせが来た時は驚いた。

 

 

せっかく当たったこのチケット。

どうせなら、1度もLIVEを

みたことがない人と一緒に行って、

なんの先入観や固定観念もなく

新しい彼らを一緒に見てもらおう。

 

そう思って友達を誘った。

 

 

 

その日は、グッズ列が想像以上に並んでいて

友達の分を買うために並んだけれど

少し遅くて開演時間を過ぎてからの

入場となってしまった。

 

申し訳なかったけれど、

今思い返すと慌てていて

何となく気が紛れて良かったかもなあ

とも思う。(いやでも申し訳なかった)

 

全力ダッシュで入った会場には

6人の姿があった。

 

わかっていたけれど、

何回見ても6人しかいなかった。

 

 

他の公演では、後ろの席から

「すばるくんいなくなったのになんで来るんだろう?」

 

っていう声も聞こえてきて、

まあそんな声もゼロではないんだろうな

とは思っていたけど

実際言葉にされると苦しくて、

これからのLIVEに行くのも少し怖くなった。

 

 

彼のパートは、みんなが補っていた。

 

ほかのメンバーが歌っているのに

彼の声が脳内で再生される。

 

正直、〝取られた〟とさえ感じた。

 

 

 

 

大阪ロマネスクの歌い出し、

これだけはメンバーの誰であっても

取られたくない。と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも彼らは、あの歌い出しを

全員で歌ってくれた。

 

苦しかったけど、嬉しかった。

 

MCでも私たちのことを気遣ってくれて、

6人の彼らは、私が思っていたよりも

私たちのことを気遣って

LIVEを考えてくれているんだなと強く感じた。

 

 

 

 

平成最後の年末。

 

 

 

8時だJ

 

 

 

 

伝説の番組が一夜限りの復活。

 

 

 

 

 

 

もちろん彼の姿はなかった。

 

 

 

 

でもそれ以上に私が苦しかったのは、

彼が出ている姿を見たいということを

言うのは悪だという風潮だった。

 

 

 

 

あの状況では

彼はあの番組に出ないだろう。

 

 

もちろんわかっていたけれど、

それを夢見ることも

許されないことだったのだろうか?

 

 

 

 

 

また、2018年を

ジャニーズ厄年だと言われる度に、

彼の前向きな決断を

悪い出来事だったかのように

纏められるのが悔しかった。

 

 

 

結局なんの音沙汰もなく2018年が終わった。

 

 

 

2019年1月27日。

ここで比較に出すのは

 お門違いであると思うが、

嵐の活動休止が発表された。

 

 

小学生の頃の嵐ブームに乗っていた程度の

茶の間ファンがあれこれ言うことでは

ないけれど、

 

関ジャニ∞が私を暗闇から

救ってくれた存在であるならば、

嵐は私の楽しい記憶を

思い出させてくれる存在だと思う。

 

 

親にお願いして初めて入った

ファンクラブや、

休み時間に友達と一緒に聞いた

僕の見ている風景

キャンプで踊った

Monsterに、

録画して何回も見た

嵐の宿題くん

 

 

全部、楽しい思い出だった。

 

 

嵐のニュースが出た次の日、

学校の先生がそのことについて触れた。

 

2018年の4月、

誰もこの話題に触れてくれるなと

あれだけ拒否していたのに、

先生がその話題に触れた時

少し悔しかった。

 

 

 

 

世間の記憶の中から

彼がどんどん

消えていっているような気がして、

今なにをしているのか?

元気に過ごしているのか?

1年前は、最低でも1週間に1回は

当たり前に彼の生存確認を

できていたことが

当たり前ではなくなったことが

苦しくて苦しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし今日、そんな日々が

ようやく終わりを告げたような気がした。

 

 

 

2019年2月28日。

 

 

 

試験勉強の合間になんとなく開いたTwitter

 

 

 

 

そこには

渋谷すばるです。』

の文字。

 

 

1分にも満たない動画と

1画面に収まる程度の文章。

 

 

 

彼らしい文章だな、と思った。

 

 

元気に生きてたし、わたしたちのこと

忘れてなんかいなかった

気にかけてくれて、

今でもずっと愛してくれていた。

 

 

 

 

今までの苦しかった気持ちなんてどうでもよくなった。

 

 

 

 

あぁ、私はこれを待っていたんだなあ

 

 

 

と何度も読み返して、何度も感じる。

 

 

 

 

 

 

私を救ってくれた、ヒーローであり、

力強くもありながら儚さも感じる。

 

 

そんな彼がこれからどうなっていくのか。

 

 

 

やっぱり私は、彼のことを

ずっと追いかけたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

さて、こんな長いのに

拙くて口も悪く

ダラダラとした文章を

最後まで読んでくれた人は

いるのだろうか?(笑)

 

 

 

 

 

誹謗中傷が溢れるSNSが主流の

このクソみたいな時代に、

インターネットがあったからこそ

感じることのできた喜びを

今日、教えてくれた彼へ。

 

 

 

 

 

 

体と心を大切にしてください。

 

いつまでも元気でいてください。

 

あなたがしたいことを

したいだけしていてください。

 

たまには私たちのことも

思い出してください。

 

 

ありがとう、ずっと。これからも!

感謝しています。

 

 

 

 

 

 

おわり。